この1年、新たに開催されだしたコンバインド競技を観戦して思うこと

 この1年、新たに開催されだしたコンバインド競技を観戦して思ったこと、スポーツクライミングがコンバインド(複合)という形式で2020年東京オリンピックの正式種目に選ばれたことの意味(マイナス面とプラス面)を考えてみた。

 

<マイナス面>

・1

 1つは、競技性に合致しない形式による専門性の希薄化、つまりパフォーマンスレベルの低下である。

 従来、スポーツクライミングでは、リード、スピード、ボルダリングは別競技として行われ、それぞれに順位が与えられてきた。これはオリンピックの陸上競技で100メートル走、マラソン砲丸投げそれぞれにメダルが与えられていることと同様だった。

 スポーツクライミングをコンバインド形式で行うことを陸上競技に例えると、100メートル走、マラソン砲丸投げをそれぞれの専門選手が競技していた形式を、一人の選手が100メートル走、マラソン砲丸投げの3種目を競技し、順位を決定する形式にするということになる。これは100メートル走の世界記録保持者ボルトにマラソン砲丸投げも競技させ、順位を決めるようなもので、例えボルトといえども、マラソン砲丸投げの競技力は、世界のトップ選手と比較するとはるかに低いレベルだろう。そんな競技を観戦することは滑稽だとさえ思える。

 オリンピックを見据え、コンバインド形式でスポーツクライミングの競技会がいくつか開催された現在、スピードのトップ選手はコンバインド形式に合致しないことが明らかになってきた。これは、リードとボルダリングの競技性とスピードの競技性との差が大きいためで、リードとボルダリングのレベルをある程度以上に両立させることは可能だが、スピード選手がリードかボルダリングのどちらかの競技力を世界レベルにするのは非常に難しいためだ。つまり、スピードの世界トップレベルの選手でも東京オリンピックの出場は困難で、東京オリンピックではスピードの世界トップレベルのパフォーマンスは見ることができない。逆に観戦者は、リードやボルダリングを専門とする選手のレベルの低い、ある意味滑稽とも見えるスピード競技を一喜一憂しながら見なければならない。

 

・2

 もう一つの問題点は競技の体力的負担の大きさによるパフォーマンスレベルの低下である。

 1人の選手が3種目を短時間で競技する体力的負担から、疲労の蓄積、けがの増加、指皮の消耗により、コンバインド決勝での各競技のパフォーマンスレベルは個別に開催されるときより低くなっている感は否めない。特に、指皮の消耗については、コンバインドが本来行われるべき競技形式でないことを明らかに示したと思っている。

 

<プラス面>

 コンバインドのプラス面は、日本にスピード競技を認知させ、競技環境と競技機会を創出させたことだろう。

 日本ではリードとボルダリングの競技環境はそれなりに整っていたが、スピードの競技環境と競技機会はほとんど無かった。オリンピックという圧力により、現在、スピード施設の建設が進んでいる。十分ではないが、今後スピード競技が行われる機会は増えるだろう。

 私は、もともと山岳という観点からスピード競技に不理解で否定的だったが、ここ1年、コンバインド競技を観戦して、スピード競技に対し、多少ではあるが理解と興味が増した。山岳競技ではなくスポーツクライミングとして意義があるし、スピードの競技を専門にとりくむアスリートが出てくることも考えられる。そのような道が開かれたことを肯定的に考えている。

 

<最後にまとめの所感>

 スポーツクライミングのコンバインドという形式は、東京オリンピックの新種目が承認されるためにスポーツクライミングを抱き合わせにしたい、しかし、出場者数は増やしたくないという方針から考え出されたと推測している。

 スピード競技が、今後、国内で発展することを期待するが、コンバインドという形式は、東京オリンピック後に消滅し、パリでは3種目が個別に順位を決定する形式としてスポーツクライミングが再度採用されることを期待している。

 どんな形式の競技も観戦すれば面白いことは面白いのだが、あえてコンバインドである必要はない。複合競技を否定する訳ではないが、陸上競技では100メートル走やマラソン観戦に熱中する人は多いが、5種競技に熱中する人は少ない。まして、専門性が高い個別競技ではなく、専門性が低下してしまう複合競技だけを行い、それにより表彰されるのは、良くも悪くもオリンピックという特別な舞台において、競技者にとっても観戦者にとっても残念なことだ。